はじめに
過去の取引関係をきっかけに取得した非上場企業の少数株式を売却しようとする場合、多くの法人株主が、まず発行会社に買い取りを相談します。
ところが、発行会社から提示されるのは、法人株主が期待していた価格ではなく、
- 「取得時の価格(簿価)であれば買い取る」
- 「簿価でしか買い取れない」
- 「額面程度で考えている」
などという回答であることがあります。
法人株主からすれば、出資した当時から会社の利益や純資産が増えているにもかかわらず、なぜ昔の取得価格を基準にしなければならないのか、疑問を感じるところです。
一方、発行会社にも、現在の株式価値を前提とした価格では買い取りたくないと考える事情があります。そこには、買取りに伴う資金負担だけでなく、他の株主への影響や、法人株主との過去の取引関係に対する認識の違いも関係しています。
今回は、発行会社が「簿価で買いたい」と主張する背景について考えたいと思います。
目次
1.株式の買取りに多額の資金を使いたくない
発行会社が簿価での買取りを提示する理由の一つに、株式の買取りに多額の資金を使いたくないという事情があると考えられます。
発行会社による自己株式の取得には、会社の資金が必要です。しかし、株式を買い取っても、設備が増えるわけでも、売上が増えるわけでもありません。会社にとっては、ただ現預金が減るだけです。
そのため、発行会社としては、事業投資や運転資金、従業員への還元などを優先し、株式の買取りに使う資金はできるだけ抑えたいと考えることがあります。
特に、長年保有されてきた株式の価値が大きくなっている場合、現在の株式価値を基準に買い取ると、会社から多額の資金が流出することになります。
そこで、発行会社は買取りに応じる条件として、取得時の価格や簿価を提示することがあります。
2. 他の株主からも買取りを求められる可能性がある
発行会社が譲渡承認請求を否認したうえで自ら株式を買い取る場合には、株主総会の決議が必要になります。そのため、発行会社が特定の法人株主から自己株式を取得したことは、他の株主にも知られることになります。
その結果、他の株主からも同様の条件で自分の株式を買い取ってほしいと求められる可能性があります。発行会社としては、今回の買取りが今後の基準や前例となることを避けたいと考え、最初から簿価などの低い価格を提示することがあります。
3. 過去の取引関係に対する認識が、双方で異なっている
法人株主が株式を取得した当時は、発行会社との間に取引関係や協力関係があり、出資にも一定の意味があったと考えられます。
しかし、長い年月が経過して取引関係がなくなると、法人株主側では当時の経緯を知る担当者がいなくなり、その株式を単なる保有資産の一つとして処分しようとすることがあります。
特に、法人株主側の窓口が、当時の取引に関わっていなかった管理部門などである場合、発行会社側には、過去の関係や経緯を知らない相手から、保有資産の処分として買取りを求められているように映ります。
一方で、発行会社側では、取引関係が終了した後も会社を経営し、利益や資産を積み上げてきたのは自分たちであるという意識があります。
そのため、現在は取引のない法人株主から、現在の株式価値を前提とした買取りを求められると、「過去の経緯も知らず、現在は会社に何も貢献していない株主に、なぜ高い価格を支払う必要があるのか」という感情が強くなることがあります。
その結果、「当時出資した金額を返せば十分である」という考えに至り、取得時の価格や簿価での買取りを提示することがあります。
4. 少数株主が持つ株式の価値を十分に意識していない
このような非上場企業では、法人株主以外の株主が、創業家や経営者一族で占められていることがあります。
同族株主が長年にわたって会社を経営していると、「自分たちがこの会社をつくり、利益や資産を積み上げてきた」という意識が強くなります。
その結果、会社が保有する現預金や不動産などについても、実質的には自分たち同族株主のものだと捉え、経営に関与していない少数株主が持つ株式の価値を十分に意識しなくなることがあります。
特に、取引関係が終了した法人株主については、会社の外部にいる、現在は関係のない株主として見られやすくなります。
そのため、法人株主が保有する株式をできるだけ低い価格で買い取りたいと考え、「取得時の価格を返せば十分である」「簿価以上で買い取る必要はない」と主張することがあります。
5. 簿価が現在の株式価値を表しているとは限らない
法人株主の簿価は、その法人が株式を取得した当時の価格をもとに、帳簿上計上している金額です。
株式を取得してから長い年月が経過していれば、その間に発行会社の業績や財産の状況は変化しています。利益や資産が積み上がっていることもあれば、反対に、事業環境が悪化していることもあります。
そのため、取得時の価格と現在の株式価値が同じになるとは限りません(むしろ、同じになることの方が稀です)。
また、法人株主が現在の経営に関与していないことや、発行会社との取引関係が終了していることによって、株式の価値が当然に簿価まで下がるわけでもありません。
一方で、非上場企業の少数株式は、自由に売却できるものではなく、会社の経営を支配できるものでもありません。そのため、現在の株式価値を考える際には、発行会社の利益や資産、将来の収益力、配当状況、持株比率などを総合的に検討する必要があります。
6. 価格だけを主張しても、話は進みにくい
法人株主から見れば、簿価での買取りは、現在の株式価値を反映していないように感じられます。
しかし、発行会社が簿価を提示する背景には、会社の資金負担や他の株主への影響だけでなく、これまで会社を経営してきた同族株主の感情もあります。
その事情を理解しないまま、「現在の株式価値で買い取ってほしい」と価格だけを強く主張すると、発行会社側には、過去の経緯を知らない法人株主が、保有資産を高く処分しようとしているように映ることがあります。
一方、発行会社が「簿価でしか買わない」という姿勢を崩さなければ、法人株主も応じることができず、話は止まってしまいます。
売却を進めるためには、価格の議論だけでなく、当時の出資の経緯やその後の取引関係、発行会社が買取りに使える資金、他の株主への影響など、双方の認識が異なる背景を整理する必要があります。
7. 発行会社による買取りだけが選択肢ではない
発行会社が簿価でしか買い取らないという姿勢を崩さない場合、法人株主は、その価格(=簿価)で売却するか、そのまま保有し続けるかの二択だと考えがちです。
しかし、発行会社との間で価格の折り合いがつかない場合には、発行会社以外の第三者へ売却する方法もあります。
第三者への売却であれば、発行会社による自己株式の取得とは異なる条件で売却できる可能性があります。
一方、非上場株式には譲渡制限が付されていることが多く、第三者への売却には、原則として発行会社の承認が必要です。そのため、単に価格を提示する買い手を探すのではなく、少数株主として株式を取得する目的や保有方針が明確であり、発行会社にも受け入れてもらえる買い手を探すことが重要です。
8. まとめ
発行会社が「簿価でしか買わない」と主張する背景には、
- ・式の買取りによって会社の現預金が減少することへの懸念
- ・他の株主からも買取りを求められる可能性があること
- ・高い価格での買取りを前例にしたくないこと
- ・過去の取引関係に対する法人株主との認識の違い
- ・同族株主を中心に会社を経営してきた意識の強さ
などがあります。
特に、取引関係が終了してから長い年月が経過している場合、法人株主側では株式を保有資産の一つとして整理しようとする一方、発行会社側では「会社を成長させ、利益や資産を積み上げてきたのは自分たちである」という意識が強くなります。
こうした認識の違いが、「現在の株式価値で売却したい法人株主」と「当時の取得価格を返せば十分だと考える発行会社」との価格差につながります。
ただし、取引関係が終了していることや、法人株主が現在の経営に関与していないことによって、株式の価値が当然に簿価まで下がるわけではありません。
発行会社との間で価格の折り合いがつかない場合には、発行会社による買取りだけにこだわらず、発行会社にも受け入れてもらえる第三者への売却を検討することも選択肢の一つです。
次回の第5回では、反対に、法人株主が「簿価では売れない」と考える理由について、法人としての意思決定や説明責任の観点から解説します。
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記事協力
幸田博人
1982年一橋大学経済学部卒。日本興業銀行(現みずほ銀行)入行、みずほ証券総合企画部長等を経て、2009年より執行役員、常務執行役員企画グループ長、国内営業部門長を経て、2016年より代表取締役副社長、2018年6月みずほ証券退任。現在は、株式会社イノベーション・インテリジェンス研究所代表取締役社長、リーディング・スキル・テスト株式会社代表取締役社長、一橋大学大学院経営管理研究科客員教授、京都大学経営管理大学院特別教授、SBI大学院大学経営管理研究科教授、株式会社産業革新投資機構社外取締役等を務めている。
主な著書
『プライベート・エクイティ投資の実践』中央経済社(幸田博人 編著)
『日本企業変革のためのコーポレートファイナンス講義』金融財政事情研究会(幸田博人 編著)
『オーナー経営はなぜ強いのか?』中央経済社(藤田勉/幸田博人 著)
『日本経済再生 25年の計』日本経済新聞出版社(池尾和人/幸田博人 編著)















